2015年の映画、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』。映画が公開された当初はあまり興味がなかったように思う。自分にとってのマッドマックスといえば1作目。時代は近未来(公開当時は「数年後」という設定)。荒野に真っ直ぐな道路が続くアメリカ(実際のロケ地はオーストラリアだったかな?)。荒々しい排気音のバイク。主役のメル・ギブソン。
1作目については、監督のジョージ・ミラーやプロデューサーのバイロン・ケネディが撮影当時を語っているこの動画が詳しい。
CMやネット広告の予告編で見る『怒りのデス・ロード』はそうではなかった。どちらかというと2作目以降の世紀末的な世界観で、もはや主役はメル・ギブソンではない。よくある「残念な続編映画」なのだろうと決めつけていた。
あと、ニュークスの決めゼリフ、「なんてラブリーな日だ!(What a lovely day!)」もオレの中のマッドマックスのイメージじゃなかった。ラブリーってなんだよ。
きっかけは忘れたが、その『怒りのデス・ロード』にドハマりした。完全に食わず嫌いだった。何度も見たいと思ったのだろう、その年の10月にはAmazon Prime Videoで字幕版を購入した。2,500円。
オレの好きな1作目とは違い、異常にテンションの高い映画だ。ヒャッハー!みたいなテンション。とくに裏切ったフュリオサを追いかけるために、シタデルから男たちが繰り出していくシーン。後部にドラムが設置され、前方にはギタリストが吊り下げられたドラムワゴンのカットは素晴らしい。
冒頭の、人々の会話によって核戦争後の世界を説明しているのもシンプルでいい。開始数分のマックスが逃げ回るシーンで、映画にドップリのめり込んでしまう。
登場人物や車・バイクのディテールにも説得力がある。イモータン・ジョーのギガホースはキャデラックの2段積みで、これは富や権力の象徴。フュリオサが乗るウォータンクのドアには、彼女が失くした左腕が描かれている。
映画の終盤。フュリオサが朦朧としながら「故郷」とつぶやくシーンでいつも泣いてしまう。母親を亡くし、決死の覚悟でシタデルを脱出して故郷を目指すが、そこにあったのは見る影もなく汚染された沼。生きる希望だった緑の地はもう存在しない。
何人もの仲間を失い、子供時代を奪ったイモータン・ジョーに復讐を果たすも、自分は力尽きようとしている。このときのフュリオサの気持ちが痛いほど分かる。故郷に帰りたい。ただその思いだけだ。
『怒りのデス・ロード』の制作は苦労が多かったようだ。9.11による制作費の減少。撮影場所は長雨により砂漠からお花畑に変貌。決まらないマックス役。ロケ地での人間関係。下の動画で詳しくジョージ・ミラー本人が語っている。
そしていよいよ『怒りのデス・ロード』の前日譚、『マッドマックス:フュリオサ』が公開される。予告を見ると、フュリオサ役であるアニャ・テイラー=ジョイの線の細さ、顔の幼さが少し気になるが、ジョージ・ミラーが見初めたらしいので間違いはない。たぶん。
この映画によって、フュリオサが片腕を失った経緯なども明らかになるだろう。
いまから楽しみで仕方ない。