たくさんのバイクに乗ってきたが、一番思い入れの強かったバイクが、このスズキ 250SB。一時、わずかなブームになった「スーパーモタード」というカテゴリのバイクで、オフロード車の車体に17インチのスポーツタイヤを付けたもの。
2016年3月。ヒマつぶしで訪れた地元のバイク屋さんで即決した。前職で一番忙しく働いていた時期で、残業代と基本給の金額が同じになるほどだった。
その数カ月後に勤め先を退職するが、有休消化の1ヶ月間はほぼ毎日このバイクで出掛けた。次の仕事も決まっていないのにバイクに乗っていると、「いまのオレはなんにでもなれる」という、根拠のない無敵感で満たされた。帰り道で雨に降られることもあったが楽しかった。
43歳。異業種から製造業へ。転職後すぐ、ここには馴染めないと感じた。独特の、規則正しさを強く求められる雰囲気。同じ制服を着て食堂に一列で並ぶ従業員を見て、刑務所のようだと思った。
社内には知り合いがおらず、業務も全く楽しくない。小声で話す周囲の声が、オレへの揶揄に聞こえた。孤独感。孤立感。休憩時間の喫煙所。スマホでこのバイクの写真を眺めながら、ここに転職したことを後悔していた。
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このバイクだけが心の支えになった。のめり込んでいったのは、このときの精神状態のせいだったのだろう。はみ出したグリスをウエスで拭うことから始まり、バイクを磨くことに傾倒していった。外装はもちろん、マフラー、エンジン、チェーンにいたるまで磨き込んだ。このバイクを美しく保つことが、自分の存在意義になった。
いつしかこのバイクは自分の憧れになった。ムダがなく引き締まった車体。細部まで美しく手入れがされ、速い。このバイクとひとつになりたいとすら思った。取り憑かれていた。いま思えば異常だった。
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2020年の11月。買い替えのためにこのバイクを下取りに出した。わずかな期間だったが、濃密なときを共有したバイク。朝のリビングで、寂しさから涙が込み上げた。手放してしまうことに申し訳なさもあった。ただの機械ではなく、自分にとってはかけがえのない存在だった。
最初の写真は、下取りに出す日の朝に撮ったもの。朝日が眩しいのか、泣き顔を見せないようにしているのか。たぶん後者。
しばらくは下取りに出したバイク屋さんで販売されていた。走行距離のわりに高い販売価格だったので、すぐには売れなかったようだ。
自分でもおかしいと思うが、手放してからもこのバイクのことが気になっていた。寂しい思いをしていないか。雨ざらしのような環境で雑に扱われていないか。オレといたときのように元気に走っているか。
その後、3台のバイクを買ったが、どれも250SBのような存在になることはなかった。バイクは工業製品で、買い替えの効くもの。敢えてそう思い込むようにしていたのかもしれない。それでよかったと思う。
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あのバイクを手放してから、会社の居心地がよくなった。人間関係も広がり、業務に真剣に取り組めるようになった。あのバイクに依存し過ぎていたと、いまでは思う。視野が狭くなっていた。「このバイクさえあれば何もいらない」なんて、新しい環境に馴染めない自分を慰めていたのかもしれない。
あんなふうに、脇目も振らず1台のバイクにのめり込むことはもうないだろう。それでも、あのバイクと過ごした日々は忘れられない。