id:muffdiving さんのエントリーに触発されて私もバイク関連の日記を。所有したことのあるバイクを、その思い出とともに書いてみます。
HONDA ZOOK
東京の専門学校に通っていた頃(20歳くらい)、実家がある長野から東京まで、わざわざ軽トラで運んできて通学に使っていた原付。自転車のようなサドルと、キックボードのようなスタイルが特徴です。さらに足跡のようなパターンが掘り込まれたタイヤは、グリップだの乗り心地だのを超越した、もはや簡単に「タイヤ」などとは呼べない存在。
乗っているだけ妙な注目を浴びるバイクでしたが、このころの私は服飾系の学校に通っていたこともあり、変人に見られることに対して何の抵抗もありませんでした。まわりも同じような変人だらけでしたし。
このバイクには英国風の半キャップとゴーグルという組み合わせで乗ってました。ゴーグルは渋谷のベスパ屋で買ったもの。凹凸の少ない日本人の顔にはHALCYONのゴーグルは似合わないので、HALCYONよりも小さなレンズのゴーグル(名前は失念)を愛用していました。
最高速は追い風に乗っても35kmくらいしか出ません。アパートがある高井戸から福生までロングツーリング(あくまでもこのバイクにとっての"ロングツーリング")に行ったこともありましたが、青梅街道・新青梅街道で大型トラックに煽られまくったのも、今ではいい思い出です。その日の帰りは五日市街道をノンビリ走りました。
このZOOKは1年近く乗ったところで、兄の知り合いにドナドナされました。
YAMAHA SDR
参照: Google イメージ検索で"YAMAHA SDR"を検索
200cc、2ストローク、シングルシート(乗車定員1名)という、どう考えても間違った企画のバイク。でも中学のときの通学路にこのバイクが停めてあって、「いつかはアレ乗りたいナー」などとid:saito-kazuo少年は心に誓うのでした。
それから数年後、専門学校を卒業して紳士服の会社で働いていたときに、吉祥寺のバイク屋で程度のいい緑のSDRを17万円で見つけて衝動買い。当時の私の給料は手取りで12万円くらいだったので、月1万円の分割で買いました。ほかにもウォークマン(もちろんカセットテープのヤツね)を3回払いで買ったとか、貧乏自慢だったらまだまだあります。
このバイクはハシゴのようなトラスフレーム(しかもメッキ)が特徴で、たぶんカルト的な人気があったと思います。SDRで筑波サーキットへ草レースを見に行くことが多かったのですが、バイクのそばで休んでいると「キレイに乗ってるねー」なんてよく声をかけられました。
またその車体の軽さは、バイクに乗るのがヘタな私に一段上のコーナリングを教えてくれました。教習所で習うコーナリングの基本、「ハンドルはゆで卵を握るようにして、曲がりたい方向に顔を向ける」という動作だけで、本当にクルクルとよく曲がるバイクでした。
出力特性は単気筒ということもあり、2ストにしてはやや穏やかでした。でも原付並みに小さくて軽い車体に2ストエンジンの組み合わせなので、道幅の狭い峠道では相当に楽しいバイクでした。夏になると毎週のように箱根に通い、誰も知らないような小さな峠でグルングルン廻ったものです。
上でも書いたように、当時の私は草レースを見に行くのが好きだったのですが、あるレースの朝、サーキットまで来たところで財布にはたったの数百円しかないことに気が付きます。これでは入場さえできない、というわけで近くの銀行を探すことにしました。
が、銀行がなかなか見つからない。土地勘のない茨城県で銀行を探して走り回り、やっと財布が膨らんでサーキットに戻ったころには昼過ぎだった、というのも今ではいい思い出です。
このバイクは次に乗るバイク、GSXR1100の下取りとして、4万円でドナドナされていきました。たったの4万か…。正直もったいことしたな。
SUZUKI GSXR1100(89年式)
参照: Google イメージ検索で"1989 GSXR1100"を検索
将来に対する不安から紳士服屋を退職したあと、フリーター生活を始めた私。経済的にも時間的に余裕ができたので、じゃあ限定解除でもするかと思い、大型2輪専門の練習所に通い始めました。
最初のうちは限定解除さえできれば、すぐにデカいバイクを買わなくても、と考えていたのですが、そろそろ府中の試験場に行こうかというときにバイク屋で出会ったのが、外観極上の89年式GSXR1100。立ちゴケ痕すらないのに45万円という破格の安さと、「逆輸入車」という甘い響きに負けました。というか、どうせ乗れるんならデカいバイクも所有してみたくなったというか。
まだ限定解除もしていないのに、さっさと契約をしたのを覚えています。お店の人曰く「限定解除したらとりにおいでよ」でしたし。
3回目の試験で見事限定解除を果たし、バイトの都合でバイク屋へGSXRを受け取りに行ったのは、大雨が降る夕方でした。あー思い出した!そういえばあの日、家まで乗って帰るのが結構恐怖だったっけな。「こんなデカいバイク乗りこなせるんだろうか?」みたいな。
このバイクは「ツアラー」あたりに分類されます。が、200kgチョイの乾燥重量に180馬力オーバー。意識しなくてもアクセルだけで前輪が浮き上がりました。怖いです。
SDRとは正反対に直進安定性がやたら強くて、GSXRで峠道を走ることはほとんどありませんでした。まあ「こんなデカいバイクでコケたくない(逆輸入車で修理代高そうだし!)」っていうヘタレ根性と、そもそもバイクに乗るがヘタだったのでしょう。
でも長距離を走るにはこれ以上ないくらい快適でした。東名高速を法定速度プラスアルファで走ってて居眠りしたのも、今ではいい思い出です。タンデムライダーが居眠りするのは分かるけど、運転してる本人が居眠り、ってのもヒドイ話だな。
ちなみにGSXRに乗ってるあたりが一番にバイクにハマってた時期。冬には皮パン(レーシングスーツの下だけみたいなの)・シングルのライダース・エンジニアブーツという、枯れた中年ライダーみたいな格好で乗ってました。
ああ、思い出した。調子に乗ってマルボロSUZUKIのレーシングスーツ買ったりしたっけ。上野のコーリンで。結局一度も着ることなく、数年後ヤフオクに出品したけど。「【未使用美品】」とかタイトルに付けて。
HONDA VRX Roadster
上でも書いたように、GSXRはどうにも私には乗りこなせない。さらにバイトを辞めたあとに行く予定の九州旅行のため、もっとラクなバイクが欲しい。というわけで選んだのがこのバイク。数少ない新車で買ったバイクです。
エンジンはスティード系、古くはBROSまでさかのぼるホンダ伝統のVツイン。排気量は400ccです。ホンダとしてはハーレーのスポーツスターみたいなのを目指したんだろうけど、どうにも中途半端に出来上がっちゃったという印象です。
でも乗り心地はすごくよかったな。トラディショナルなネイキッドフォルムに、粘り強くて振動の少ないVツインエンジン。長距離を走るにはベストな選択だったと思います。
発売当初から不人気車だったので、SRのような豊富なカスタムパーツはありませんでした。唯一変更したのはマフラー。スーパートラップの2本出しサイレンサーで、Vツインらしい音を強調、分かりやすく言うと近所迷惑な音にしてました。それもあってVRXのエンジンをかけるのは、住宅街にあるアパートから6車線の環8まで引っ張っていってから。戻るときも、かなり手前でニュートラルにしてエンジンを切って、惰性でアパート入り口まで。隣近所から「オタクのバイクうるさいんですけど!」なんてことになったら大変なので、結構気を遣ってました。
先にも書いたとおり、このバイクでは九州までのソロツーリングを決行。10日間で5000kmくらい走ったかな?国営、または公営の安い宿ばかりを泊まり歩いて、ひたすら走ることを楽しむ旅、みたいな感じで、ロクに観光地も見なかったっけ。
長崎のある旅館でのできごと。素泊まりで予約をしていたので、チェックイン後にバイクでコンビニを探すことにしました。が、海沿いの道をいくら走ってもコンビニはおろか、食料品店さえ見つかりません。
探し回っているうちに陽が落ちて暗くなります。初めての土地で迷子になるのもイヤなので、コンビニをあきらめて旅館へ戻り、小さなお土産コーナーの、値段が高いのに全然おいしくないまんじゅう2個を夕飯としたのも、今ではいい思い出です。
それはさておき、当時はデジカメもケータイもなかったので、この九州旅行は私の記憶の中にだけ残る楽しい日々です。たぶん一生忘れることのない旅。というか、買ったばかりの新車だったらどこ走っても楽しいよな。
HONDA CRM250R(91年式)
参照: CRM250R 1991.3
数年間住んだ東京から実家のある長野へ戻り、インターネット用素材集の制作会社で働いていたときに知人から購入。20万円でした。本格的なオフ車に乗るのは初めてだったんだけど、本来の身長よりも高くなるライディングポジションには笑いました。地面に両足のつま先が付かないのは当たり前。オシリをどちらかにズラさないと片足さえ届きません。
それでも幅の広いハンドルと大きなフロントタイヤのせいか、コーナリング中は安定していたので、タイヤをオンロード向きのものに換えて麦草峠などでグルングルンしていました。エンジンは2ストローク。低回転からトルクが太く、GSXR同様、意識しなくてもフロントタイヤが持ち上がりました。
このバイクでは何度か長野-東京を往復しました。乗車姿勢がかなり立ち気味なので、さすがに高速道路はシンドかったな。2ストということでオイルを補給する必要もあったし。でもそれまでオフ車に興味のなかった私に、新しい世界を教えてくれたバイクです。
CRMで麦草峠からの帰り道、コーナーで浮き砂にフロントをとられ、「スッテーン!」という感じで転倒。左腕に少し擦り傷ができる程度だったので病院に行くこともせず、キズドライとガーゼで処置をしました。
その夜のこと。痛みで目が覚め、気になって左腕のガーゼをめくると、グチャグチャに膿んだ擦り傷「跡地」。夏で湿度が高かったのと、傷口をロクに消毒しなかったのが原因でしょう。キズドライと体液が交じり合った極彩色の左腕も、今ではいい思い出です。
HONDA CB400FOUR(NC36)
いわゆる「ヨンフォア」ではなく、平成版のCB400FOURです。CRMを買ってから数年後、社内で結婚を機にバイクを売りたいという人がいたので、12万円で購入。外観極上・エンジン絶好調で、そうとうお買い得な買い物でした。
もともと欲しかったバイクではなかったけど、実際に所有してみると、とても完成度の高いバイクであることが分かりました。とくそのスタイルはホンダCBの血統を確かに感じさせるもの。眺めているだけでも飽きさせません。エンジンの空冷フィン(ハッタリだけど)、4本出しマフラー、オーソドックスなシートとリヤフェンダーの組み合わせ。今見ても十分美しいと思えます。
さらにエンジンもパワフル。直列4気筒に4本出しマフラーなので低速スカスカかと思いきや、低回転からしっかりとしたトルクが感じられます。純正マフラーの排気音も好きだったな。
こんなCB400FOURですが、全然売れなかったんでしょう。同じバイクと遭遇することはほとんどありませんでした。今どきのニイチャンがホンダの400ccだったら、普通スーパーフォア(参照: Honda | バイク | CB400 SUPER FOUR/SUPER BOL D'OR)選ぶよなー。
今の奥さんと付き合い始めたのは、ちょうどこのバイクに乗り始めたあたり。一度だけ、CB400FOURで長野から東京へ行ったことがあります。行きは天気もよくて気持ちのよいツーリング気分を味わえましたが、長野へ戻るという日、関東から中部地方が強い低気圧に覆われます。
雨が降ることなんて全く考えていなかったので、Gジャン・ジーンズ・スニーカーの軽装。叩きつけるような雨が私から体温を奪っていきます。練馬ICから高速に乗り、陽が落ちる前にどうにか群馬県まで来たところで、哀れ土砂崩れによる通行止めの表示。仕方なく国道17号に降りました。
再び高速道路に乗ると雨の勢いがさらに凄まじい!!全身ズブ濡れで、真夏にもかかわらず体が震えます。そのうえ強い雨でシールド越しの景色がほとんど見えない。しかも暗い!上信越道は明かりをもっと増やすべき!どう考えても暗すぎだよ!恐ろしさでスピードも50kmくらいなのに、なんだか死を身近に感じるんですけど?
やっとの思いで自宅にたどり着き、ニュースで上田市と丸子町の境にある橋が、増水により流されていたことを知りました。あー生きて帰れてよかった!っていうのも今ではいい思い出です。
このバイクは自分の結婚を機に兄の知り合いに20万で譲りました。オーナーが結婚するたびに売り飛ばされる悲しい運命。え?買ったときより高く売ってるって?自分にとっての価値は20万円だったということです。
まとめ
これまでに挙げたバイクを見てもらうと分かるとおり、私は個性的な、言いかえるとアクが強すぎて一般ウケしない不人気車が大好きです。それと軽くてコーナリングが楽しいバイクも好きかな。
幸せなことに、憧れていたバイクや乗ってみたら意外といいと思えるバイクを所有することができました。ライダーなら誰もが一度は乗ってみたいと思うであろうビッグバイクも。
上で書いた「いい思い出」っていうのはどれもネタのように見えるけど、数年たった今では本当にいい思い出です。バイクでコケて手首を骨折して、手の甲とヒジにドリルで針金ネジ込むことになったという、この先も思い出したくない過去もありますが。
現在はバイクを所有していません。長野県は夏にツーリングで来るにはイイところなんだけど、それ以外の季節は春も秋も涼しいなんてレベルじゃなく、むしろ寒いくらいの気候の土地。気持ちよく乗れるのは、梅雨明けの7月後半から10月上旬くらいかな?
それだけの期間で、会社勤めの自分がはたして何度バイクに乗るだろうか?って考えると、やっぱり今バイクを所有するのはためらってしまう。
万が一バイクでケガした場合、家族を養える自信がないというのもある。コケて骨折→入院→仕事できない→クビ→家のローン払えず→夜逃げ、ってのは十分想像できるので。
今はたまに自転車に乗り、バイクに乗っていた頃のように、その自転車をピカピカに磨き上げるのが楽しみです。今の自分にとっての自転車は、たぶんバイクに乗ること・所有することの代替行為なんだろうなと思います。うわー、なんか年寄りみたいなこと言ってるな自分。
それでも子どもが大きくなったら、またバイクに乗りたいという思いはあります。子どもを後ろに乗せて遠乗りしたりね。私がバイクに乗っていた頃とは違って、今は高速道路でも二人乗りができるし。そしてそのときも、「いい思い出」ができたらな、なんて思います。